内村鑑三命日(3月28日)

クリスチャンへ

先日の3月28日…内村鑑三の命日です。キリスト教界に関わらず彼から影響を受けた方は多い。彼の聖究から内閣総理大臣が1人、文部大臣が4人、東京大学総長が2人排出されていることからもその存在感が伺いしれる。そんな彼を覚え日本全国で追悼記念礼拝が持たれています。

一方、この時期はキリスト者にとって重要な節目だ。それは「神の御子」が「全人類の罪」を負い痛み苦しんだ「受難週」であることを忘れてはならない。この時期にあっても「内村の追悼」を強調する方々がいる。実際に無教会の礼拝では「聖書と同等」に彼の全集が多用されることが多い。内村の孫と二度話したことがあるが、会話が成立せずもはや「キリスト教とはいえない領域」だった。彼の主眼は「内村の贖罪信仰」であり、「内村を祖」とした「新たな新興宗教」といっていいのかもしれない。生前の高橋三郎先生もこの点を大変嘆いておられた。

プロテスタント主流派では「聖餐と洗礼」という「神を可視する表現」があるが、両者を拒否した彼らは集会の「指導者を神格化」する「先生中心主義」を強める結果になってしまった。「聖書の原点」に戻る「無教会主義」が、「カリスマ性のある指導者を神格化」させる結果になってしまったのだ。内村を始めとした「無教会の大御所」は「佐幕派の武士の家系」の出身者であることも特筆すべきだ。彼らの世界観は「武士道に接ぎ木したキリスト教」であり、この点がカリスマ性を強める1つの原因となったのだろう。

一歩後ろに下がれば「神でない物を神」とするこの現象は「福音派も同じ」なのかもしれません。それは「神学校の卒業証書」「キャンプ場でのときめき」…っと挙げればきりがないでしょう。「日本」という文脈において「神格化」や「非日常」といった「神でない物を神」とする原因は「日本の精神風土」に「福音が接ぎ木」されていないことが大きな原因なのでしょう。今日、我々の当たり前としているキリスト教文化の殆どが、「異教文化」に「キリスト教が土着」したもの。クリスマスは「ローマ神の農耕神の祭り」イースターは「春の女神」が名前の由来だ。それぞれが置かれている時代、場所にあって「真理が受肉」し「新たな世界観」を形成する。これが、キリスト教そのものが受け入れられた証なのだ。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」主に倣い、私が竹(尺八)と向かい合うようになったのも上記が起因です。内村の説いた無教会主義も「教会の天井は蒼空」「床は青い野」「講壇は山の高根」「説教師は神様ご自身」と言うように、人工的な「聖職者制」「教職者の資格」「礼典」「建物」といった「制度」「儀礼」を取り外す「福音の原点」に戻る試みだったのでしょう。「教会形成」という目に見える結果を求める者が多いがこの本質を突き詰める者は少ない。ある意味これが私にとっての「狭い門」です。

都内では桜が開花した今日「主の復活」を覚え私達が今まで気が付かなかった「日本に生きる神」を「再発見する機会」になることを祈ります🙏🌸

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